肉まんを食べたかった話

だんだん外が肌寒くなってきた。 

こう、寒くなってくると食べたくなるのは肉まんだろう。

少しひんやりとする外で食べるほかほかの肉まん。これは最高に幸せな一時である。



肉まんを食べたい。そう思い立ったのは模試終わりの話。いつもより少し早い時刻に予備校から引き上げる。外に出ると思いの外涼しい。

肉まんを探しにコンビニへ。ここでふとファミリーマートで肉まんのセールをやっていたことを思い出す。確か税込みで100円。これは買うしかない。そう思いいつも行っているファミマへ。


売り切れてましたね。見事にからっぽ。そんなにみんな肉まん食いたいのか?

気を取り直して少し離れたところのファミマへ。




見事にSOLD OUTですわ。満員御礼お疲れ様でした。みんなそんなに財布の中まで冷え込んでるの?


ここまでくると引き下がれませんよ。というわけでファミマを探すべくとりあえず歩いてみることに。

大阪市内はだいたいの方角が合ってたらおおよそどこかの駅にたどり着けるようになってるので、一本外れた筋を歩いていくことにした。


うん、迷いましたね。完全に迷った。なんかネオンが光ってる。これラブホ街とか言う奴ですわ。建物が全体的に怪しい。風俗嬢と客が待ち合わせしてたし。

こういうのは僕には良くある話で、過去には神戸で知らぬ間に福原の風俗街に迷い混んだこともあった。気にしない気にしない。

でもラブホの前に掲げてあった「シニア割60歳以上30%Off!!」てのが妙に面白かった。どうしてそこまでしてシニアのカップルを泊まらせたいのか、僕にはまだ早いのだろう。

ちなみにこのホテルのとなりに医学部予備校があったのは何ともいえない立地だなと思った。

幸せの形は人それぞれだ。医者になればそれはたぶん幸せだろうし、60過ぎても夫婦で愛し合えたらそれも幸せだろうし、風俗嬢相手に欲求を満たせてもそれはそれで幸せだろう。僕はとりあえず肉まんを食べて幸せを感じたい。

さてさて、肝心のファミマだ。
今のところコンビニはローソンが一軒だけである。まだまだ駅まで距離もあるしそのうち見つかるだろう。

一応表通りに復帰した。この途中でな
んちゃら教化本部とか言う宗教施設らしき建物に遭遇した。一気にアンダーグラウンドに足を踏み入れた感が増してしまった。


歩き続けるが依然としてファミマは見つからず。15分ほどで見つかったのはローソンローソン一つセブンイレブンを挟んでまたローソンである。ローソンが飽和している。


大通りを歩いているとそのうちに交差点にぶち当たる。交差点なんて普段生きていたら別段気にすることもないのだろうが、なぜか今回の交差点は違った。

今歩いているのは、今まで歩いて来たことのある場所でないはず。なのに明らかに既視感があるのだ。なぜだ?

そんなことを考えつつ交差点の四つ角をそれぞれ見て回る。




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ラーメン390円。魅力的すぎる。でも自分はもう中高生じゃない。大学生ですらない。なんだろうこの虚無感。



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この鶴でかっ!思わず写真をとってしまった。

こんな風に普段地下鉄でスルーしてしまうところを地上から見てみると思いもよらぬものが見れたりするから結構楽しい。


そんなこんなでいろいろ確認してみたがどうにも記憶が定かでない。謎を抱えて少しモヤモヤしながら先に進むことにする。



道を間違えた。いろいろ見てるうちに交差点でうっかり違う方向に進んでしまった。

さてさて、もう30分も歩いている。そろそろファミマに遭遇できるだろう。そんな期待もむなしく2連続ローソンである。ローソン許さじ。 

はてさて、本当にファミマはあるのだろうか。この先全部ローソンによって制圧されてるんじゃなかろうか。そんな考えが頭をよぎる。

もうすぐいつもの乗り換えの駅が近い。さすがにそこからは電車で帰りたい。果たして肉まんにありつけるのだろうか。


もう駅まで50mというところ。ついにそのときが来た。 




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見えるだろうかこの神々しく輝くファミマが。後光が眩しすぎて写真には写せないぐらい輝いてる。すごい。まさに神の仕様。

ここまで来て完売だったら、もう発狂する。正気を保てる自信がない。


横断歩道を渡り入店する。あの聞きなれた入店音だ。そして肉まんを確認する。

あと一つだ。


レジには既に3人が並んでいる。3人とも肉まんを購入しない確率は統計学上31%という研究結果がある。実際にはセールの影響がありもう少し低いだろう。

緊張の時間が続く。

一人目、クリア。

二人目、クリア。

あとは最後の一人である。ストロングゼロを持っていた。おつまみに肉まんという可能性はゼロではない。緊張が走る。

選ばれたのはスパイスチキンでした。

勝ったのだ。闘いに勝ったのだ。

時は満ちた。

満を持して肉まんを購入する。税込100円。神の仕様。増税なんてぶっ飛ばせ。



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さて、いただこうではないか。
肉まんはアツアツだ。

かぶりつき、幸せを堪能する。うまい。100円でこんな幸せな気分を味わわせてくれるファミマに感謝。

さて、写真を見ればわかるのだが、肉まんは外で食べている。このテーブルファミマの前にある。

つまるところイートアウトである。イートインだと10%とられるから外にしたのなら、素晴らしいセンスだ。

税金どうこう以外にも、肉まんを外で食べて幸せになるという使い方もできる。店の中で食べるのよりずっと良い。


隣のテーブルにサラリーマンらしき人が一人座っていた。少しすると彼女であろう人が迎えに来た。風俗嬢ではない。
たぶんこの人は幸せだろう。


日常の中に幸せはたくさんあるはずだ。なのに悪い方にばかり目を向けるのは少し寂しい。だから僕は独り寂しく肉まんを食しているという事実から目を背けながらおいしい幸せを味わうのだ。

15分チャレンジ#2 チキンクリスプってのがあって

僕は全く知らなかったのだが、マクドナルドで100円で食べられるバーガー類がいつの間にか2種類に増えていた。

一つは安定のハンバーガー、昔からあるマクドナルドのもっとも基礎的なメニューの一つだ。
たぶんマクドナルドクルーとして一人前になるためにはまずハンバーガーを一定以上のクオリティで作れるかどうかみたいな試験に合格しないといけないんだろう。

そして、もう一つ、これがチキンクリスプだ。

いつの間に増えたのか本当に知らない。
僕は弟から教えてもらって初めて知っ
た。

パティの代わりにチキンが挟まっている、んで持ってマスタードが入っている、ざっくり説明するとこんな感じのバーガーである。

ちなみにメニューにはこんな感じでかかれている。


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どこにかかれているかお分かりだろうか?









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こんなとこに、サイドメニュー以下の存在としてひっそりとかかれている。

表面ではビッグマック初めマクドナルドの収益元となるレギュラーバーガーたちが堂々たる画像つきで紹介されているのにだ。

さて、メニューの画像でお気づきの方もいるだろうが、僕は今マクドナルドにいる。理由はどうしてもファンタグレープをのみたくなったから。

夕方時のマクドナルドはだいたい混んでいる。子供たちのおやつだったり、主婦のコーヒータイムだったり、学生の部活終わりの腹ごしらえだったり。 

特に学校が近いところのマクドナルドは学生のグループがたくさんくる、僕が今いるところもそういうとこだ。

僕が入った少し後ろからテニス部らしき学生の軍団が入店してきたのだが、クルーが思いがけない言葉を発したのを聞いた。

「学生さんグループ来たからチキンクリスプ準備しといて!」  


いや、クルーすげぇ、注文するメニュー入店してきた瞬間わかるんかよ、伊達にハンバーガー修行してきたわけじゃないんやな。修行を極めてスーパークルーになったらテレパスになれるんかい。


そうじゃなくて、たぶんチキンクリスプが学生に人気なんだろうね。

こうとわかればなおさらチキンクリスプが不憫だ、ぼくみたいにまだまだ存在すら知らない人もたくさんいるはずだ。

伝統のハンバーガーにならびやってきたお財布と空腹の救世主、せめて小さくとも画像ぐらい載せられるべきだ。

努力は必ず報われると言う人がいるが、このチキンクリスプの扱いを見てもそれをいえるのだろうか?




ちなみに僕はチキンクリスプじゃなくてチーズバーガーを食べた。30円高いが僕はこれが好きなんだ。高々30円のためにどこの馬の骨ともわからんバーガーは食べないのだ。

****タイムアップ*******

(一応書き終わったけどあるけど無理やり感があるなぁ、ちなみにこれを書いてるあいだ横に座ってるおじいさんがものすごいキョロキョロしているなと思ったら飲みものだけ買って持ち込みのおにぎり食べてました、クルーが前を通る度に隠してたのがすごい面白かったです。)

2番目に楽しいらしい

一番になること、それはとても素晴らしいことだ。

誰だって一番になりたい、こう思うのも当たり前、しかし誰もが一番になれるわけじゃないのも確かだ。

いつこの事を思い知るのか、人によっても差があるだろう。

徒競走で絶対に勝てない相手に出会ったとき、テストで100点しかとらないやつに出会ったとき、圧倒的なお笑いセンスを持つ奴に出会ったとき、容姿が頭抜けて優れた奴に出会ったとき·······

 

こういう奴らに出会ったとき、どうするのが正解なのだろうか。

闘うのが正解なのだろうか?
闘って勝てる見込みがあるのなら正解かもしれない。でも、一番になれないと気づくレベルだ、そうそう勝てるはずがない。

逃げるのはどうだ?
逃げて済む程度しか一番になりたい欲がないならそれでいい。
そうじゃないなら未練が残る。
そして、たぶん逃げた先でもまた勝てない奴に出会う。逃げ続けるの??



たぶん逃げるよりは闘ったほうがいい。
相手は人間だ、同じ土俵で闘っている限りはノーチャンスになることは少ない。
なにかしらの事情で相手が土俵から立ち去れば最後まで闘い続けた者の勝ちなのだから。


一番になるために闘う姿は格好いい。

いつぞやにスパコンの予算に対して「2位じゃダメなんですか」とかいったオバサンが批判されていたのも、はなから闘わないで二位で良いはずがないと思った人が多くいたからなのだろう。
·········

··············

··················

······················
二位じゃダメなんだろうか?

いや、スパコンは一位であってほしい、だって国際競争なんだもん、でもでも普通の人がなにかしらの分野で二位になる、これも十分に立派なんじゃないだろうか。





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大阪で2番目に楽しいボールいれあそび。



予備校からの帰り道、なぜかいつもとは違う人だかり。


ふらふらと近づくとどうやら祭りのようだった。


日々浪人生という身分の中で勉強をしているのだが、勉強じゃどうやっても一番になれないのは知っている。
得意科目の生物でさえ高校時代からだいたい二番か三番だった。予備校にいってもそれは変わらない。

いつもそうだった、僕は大抵一番になれない。二番か三番止まりだ。

走ってもクラスで三番ぐらい、テストだっていつも数点だけ高い奴がいた、カードゲームでも金に明かして札束で殴りつけてくる奴だけは勝てなかった。




でも僕はこの看板を見たとき少しだけ救われた気がした。

この看板自体は1番と言わないことで他の出店とのトラブルを回避しているだけだと思われる。
間違ってもこの看板を見て救われる人がいるとは想定されていないだろう。

しかしながら、2番であることを誇らしげに掲げるこの姿勢、疲労によりだいぶおかしい精神状態の僕にはとても響いたのだ。

そうだよ、二番だって誇って良いんだよ、ありがとう名前もしらぬ出店のおっちゃん。


好きな男子ランキング迷ったら二位か三位に入れられる枠の僕は、明日から自信を持って生きていこうと心に誓うのだった。

フィクションだったのかもしれない

どう説明しても信じてもらえないという経験、ないだろうか。


「子供のころ祖父母の家の裏で幽霊を見た」

だとか 

「何回も死にかけたが毎度生還した」

とか

「昔はあの美人女優に似てた」

「今まで付き合った数は片手に収まらない」
みたいな話。



まあ、子供の時の話なら見間違えだろうと言われておしまいだろうし、美人女優に似てたのなら昔の写真見せろって話だ。

付き合った数が片手に収まらない?ああ、一つ低い次元の話ね。



少からずこういう経験はあるだろう。

たとえ本当であっても現実味がないならばフィクションにしか聞こえないのだ。 


ここで問題になってくるのがなぜ現実味がないと感じてしまうかだ。 

これは3パターンぐらい考えられる。


パターン1 どう考えても嘘である/あり得ない

幽霊とか、昔はあの美人女優に似てたとか、今までに何度も付き合ったことがあるとかはここに入る。

僕らは科学的に幽霊が存在しないのを知ってる。

たしかに、似てもにつかない女優の名前を上げられたら誰だって「んなわけあるか」と思うだろう。

THE非モテな風貌の人がモテまくりの世界なんてどこにあるんだって話だ、あるのなら教えて欲しいもんだ。


こんな風に空想のおはなしに聞こえるものは信じてもらえない。実際この手の話の9割は嘘だろうし、もし本当だったとしてもたぶん口元がちょっと似てるだけだろうし、付き合った人数は半分ぐらいだろう。



パターン2 話のレベルがすごすぎて聞き手がついてこれない

僕の高校の生物の先生は実験中の操作ミスやら毒蛇にかまれたやらガンになったやらバイクで事故したやらと幾度となく死にかけたらしい。

こんな不幸体質の人なかなか出会わないだろう。まちがいなく今まで出会ってきた中で最高クラスである。


はっきり言って最初の方は皆、絶対に盛っていると思っていた。

だが、どれもやたらと状況が具体的なのだ。信じるしかないレベルで。


ハンマー投げ室伏広治選手の伝説なんてまさにそうだ。
室伏広治とは (ムロフシコウジとは) [単語記事] - ニコニコ大百科

ね、信じられないでしょ。


パターン3 話し手と聞き手の常識が大幅にずれている

パターン2と似ているようにも思えるが、大きく異なるのは話している側からしたら十分に当たり前のことでもこのパターンだと嘘だと思われてしまう点だ。
 

*******

僕の通っていた中学は近辺でも有名な底辺中学だった。

授業中でも平気で教室を出ていくヤンキーたち、それを追いかけて先生は授業を止める。
まともに授業が成り立つのはそいつらが休みの時だけだ。

もちろん奴らは酒タバコは当たり前、夜な夜な公園に原付で集結したりもしたらしい。

極めつけは盗んだバイクで走り出して鑑別所行き。しかも3年間で3回ぐらい。


一部のヤンキーだけならまだしも、中学デビューのイキッた半熟卵みたいなのは真面目はダサいという風潮を作り、授業中はパズドラに興じるのだ。

真面目な奴らは陰キャだなんだ言われさげすまれる。真面目かつ文化部なんてはっきり言ってずいぶん制限された人権しか与えられない。


ものが盗まれるのは日常茶飯事、財布からお金だけきれいに消えるのもしばしば、グループ分けでは陽キャの皆さんのご意向に従うのみ。

典型的なTHEアホ校、マンガレベルのクソ校。


そんな頭ゆるゆる中学だから、たくさん伝説がある。

例えば、ヤンキーの誰かの誕生日にはなにかしらハプニングが起きる。

あるときは中国の春節祝いのごとく爆竹を鳴らし仲間の誕生日を盛り上げ、またあるときには教室を突然デコレーションしだしてパーティー会場にする。

これだけでも信じられない人もいるのかも知れないが、まだまだ飛び抜けたやつが2つある。


ある日、学校の廊下が突然真っ白になったのだ。
建物内の廊下だ。雪なんかじゃない。

小麦粉だ

誕生祝いに小麦粉を撒く。仲間にかける。ある種の現代アートだ。もはやその発想力には脱帽だ。

このあと警察が来たりしていたが、学校中の先生が必死に掃除をしていた風景を見て、中学校の先生にだけはならないでおこうと心に誓った。


もう一つは豆腐だ。

豆腐を投げ合い、そしてプールにダイブだ。

もう病気だ。病気。隔離病棟にでも行けよ。

ちなみにこのあと首謀者(の親)がプールの水代何十万円かを弁償させられたらしい。

無論3年生ともなれば受験を意識する人も増えるのでましにはなってくるのだが、一定数は最後まで脳ミソだだ漏れの方々がいて、幸せそうにしていた。


卒業式にも、特効服とか刺繍ランを着て校門前でウンコ座りをして写真を撮るという素晴らしくクソみたいな伝統があった。ウンコ座りだけに。

 
中学卒業してもう3年ほど経つのだが、この脳ミソ漏れてる人たちの大半は高校中退らしいし、少年院にいたもの、「#クソ客のいる生活」を使いこなすガールズバー店員、〇〇組の駒使い、キャバ嬢と同棲しているホスト、詐偽の受け子、DV夫、スロプーなどなど社会の底辺がたくさんいる。

******

とまあ、こんな話を高校の同期にしたんですよ。

するとどうでしょう、「盛りすぎわろた」「嘘松乙」「いつの時代やねん」「治安悪すぎで草」といったなかなかな反応をいただきまして。

僕が通っていたのは一体何だったのでしょうか?
間違って幼稚園に通ってたのかな? 

どうやら大阪市内出身だったりもっと北の方出身の方々にはマンガの世界にしか聞こえなかったようだ。

僕は事実を淡々と話しただけなのに。

むしろ中学ってのはどこもこんな風に治安の悪いものだと思っていました。僕の常識の中学は彼らにはフィクションにしか聞こえない。 


彼らの中では授業は基本的に全員座って聞くものらしいし、真面目な奴は皆から頼られ素晴らしいこととして扱われていたようだ。

同じ大阪でこんなに格差があって良いのだろうか?ちなみに同じ地域出身の同期とはあるある話としてこのはなしが通じた。

嘘じゃないのにまるで異国の知らない世界の話のように聞く同期に
「はたして、僕はとんだ作り話を語っているのでは?」と思った。 
 
そして、つい先日の話である。予備校の数学の講師に
「まともに中学で授業受けてたであろう君らが教わってない訳ないよね~」 
みたいに言われた。

まともに受けれる授業がなかったのにそんなこと言われても困る。


やっぱり僕の3年間通っていたところは中学校の形をしたなにか別のものだったのかも知れない。

このことはフィクションであって欲しい。

ピングー≒精神安定剤

ここ数日毎日ピングーを見ている。

ピングーとは

『ピングー』(Pingu)はスイス発祥のクレイアニメであり、かつ同アニメの主人公である南極に住むコウテイペンギンの名前でもある。原作はオットマー・グットマン(Otmar Gutmann)。主人公「ピングー」とその家族を描いたショートアニメ。

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こんなやつである







失礼、こっちだ。


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うん、かわいい。完全にかわいい。最高にかわいい。かわいい。

そう、ピングーがかわいいのです。 


このかわいらしさを求め夜な夜youtubeを開く、そんな日々を送っております。


ピングーを見て精神の安寧を保つ。ピングーは僕の精神安定剤と言っても過言ではないのです。


一本5分くらいで簡潔なストーリー、独自のピングー語によって繰り広げられる南極の世界観、クレイアニメの質感。ゆるいんだけど完成度が高い。 

ストーリーについては本当にゆるいのだが、なぜか幸せな気分になれる。
 

どうでもいいペンギンの日常のはずなのに時に笑え、時にほっこりし、時に感動する。

キャラクターは少ないが、ピングー初め妹のピンガや友達アザラシのロビ、ピングーのお父さんお母さん、どのキャラもかわいい。

クレイアニメ独特のチマチマした動き、これまた見ていて不思議な気分になる。
CGとは対極の雰囲気がどこか落ち着くのだ。

見ているだけで幸せ、どうせしゃべってることはピングー語だからわからない。




だからこそ頭を使わずに見れるんです。

アニメ一つ見るにも伏線だなんだ言うようになってしまった僕たちにとって、ただただかわいさを感じるためだけに何も考えずに見る。

そんなことができる貴重なアニメなんです。


オープニングもすごい好きで、子供向けアニメって感じの簡素なつくりが安心感を与えてくれる。あとイラストのピングーもかわいい。

と、こんな感じで毎日ピングーを見ることが僕の癒しになっているのです。


ピングーを見て寝る。このコンボは本当に幸せになれる。明日も頑張ろうと思える。下手な薬より効き目があるかもしれない。


皆さんもぜひ日々の生活に疲れたらピングーを見てください。



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非リアの3時間戦争

カップルってのは時として周囲の理解を超えた生態を見せてくる。

別に嫉妬とかじゃなくて、純粋に観察してきて感じたことだ。ストーカーみたいでキモい?非モテは黙れ?は?

それこそつい最近まで「精神的向上心がないやつは馬鹿だ」みたいに言ってた堅物系男子が公衆の面前で彼女の頭ポンポンしだしたり、あるいは大人しい女子が友達を交えてカラオケ行ってるのにテーブルの下で彼氏と足絡めてイチャイチャしてたり。


こんなのもいた。文化祭の打ち上げでの話。準備の過程でいい感じになった二人の背中を押すコーナーを突然始めるカップル×3組。くそう!俺が必死になって働いてる裏でイチャイチャしやがって、あんなに働いたのに俺にはなんも無しかよふざけんなよちくしょう

たぶんこういう人達の一部が将来的に独身に優しくない世界をつくってくんですよ、やたらと結婚いいよとか薦めててくるんですよ。優しくない世界だこと。


なんか書いてて悲しくなってくる内容なのだが、実際問題これらは自分に関係のない世界で起こってる、すなわち自らにとって価値中立的なんですよ。

だから観察対象になるわけですし、こんな行動を目の当たりにして僕が発狂することもないのです。


「自分に関係のない世界で起こる限り」

この大前提は守られるべきだ。カップルは二人の世界で好きにしてくれればいいし、僕は一人でいればいい。お互いに干渉することがなければ不幸を生み出すこともない。これは国際法に書かれていてもいいはずだ。


だが、この前提が破られた時そこは戦場と化す。


予備校の8階に自習室兼休憩スペースみたいな場所がありまして、ボッチかつ既に出来上がってる輪の中に割って入るのが非常に苦手な僕は、事前に席をとってそこで自習するという手法をよく使うんです。

事件当日の日曜日も同じように朝から席を確保しそこで自習してました。
それなりに広い場所ですので、人がまばらな時間帯なら隣近所もおらず、広々と机を使えるのです。こんな中で人の間となりに座ろうなんて人、普通いないでしょう。

まだ昼には少し早い時間帯、まばらだった人も少しずつ増えてくるとそれなりには密度が上がるのですが、それでも間となりに座る必要はない。

ちょうどこの時間帯に斜め前に女子が一人来たんです。まあ、斜め前なら常識の範囲内、そこそこ人もいるから仕方ない部分だし、なんならその女子が結構かわいいのもあって、なんら問題はなかったのです。

しかしらコピーするものがあったりして席を離れて帰ってきてみるとどうでしょう。その女子の前、それすなわち私の間となりに男子がいるじゃありませんか。しかも茶髪で安っぽいネックレス着けた典型的パリピ陽キャが。

なんで間となりなのかな。しかもこんな絶対に相容れないようなタイプの人間が。僕荷物しっかりおいてるでしょ。見えないのかな。

まあ、所詮座る位置の問題ですよ気にすることないと切り替えて行くのですが、どうにも圧を感じる。要するに僕が邪魔なんでしょうね。


しかし、こうも仕掛けられて僕が移動するのは癪に触るのでじっと耐えます。

とは言え僕は寛容なので、数学教えあったりしてるのが仲睦まじいなぁなどと考えてる余裕がまだありました。この時は。

どかせたいカップルと耐える僕。戦況は硬直していました。

この硬直を打ち破るのはまさかの展開だったのです。


昼どきに込み合うのは仕方ないのですが、普通は昼を過ぎれば人は減っていくんです。もちろんこの日も減っていたはずなんです。


もう片方のとなりにもなぜかカップルが座ってるんですね。前世に何かしたんですかね?

もう人もまばらなんですよ。なのになぜか両隣カップル。初めに来たカップルなんていつの間にやら横並びに座っていちゃついとりますからね。

いくら寛容でもこれはおかしいと思うでしょ。

そもそもカップルって等間隔に座るものではなかったのでしょうか?鴨川ルールはここでは適応されないのか? 

というかやっぱり僕見えてます?

やはりカップルってのは理解を超えてくるみたいだ。



僕の影が薄すぎるのか何なのかは知りませんが意図せずしてカップルに挟みこまれてしまった僕。それでも淡々と勉強するのですが、どうにも会話が耳に入ってくる。

他愛もない話で盛り上がって幸せそうなのはいいのですが、突然「教室で、前の席のやつがずっと貧乏ゆすりしててウザイ、死ね」みたいなこと言い出したりするんでなかなかに体に悪い。

僕はよくペン回しをしているのですがこの時はばかりはすぐにやめましたよ。


新たに現れた方はなんか突然誕生日プレゼントだか何だか知りませんがライブのチケットプレゼントしてて一緒に行こうとか言ってますし。知らねぇよ。


第一予備校に来てそんなイチャイチャされても困るんですよ、はっきり言って目のやり場にも困りますし。勉強しろ勉強。そうだよ、予備校ってのはもっと修行の場っぽくないと。


僕のこの状況は十分に修行の場だ。カルマがたまりまくってる。



イチャイチャと突然の盛り上がり、好きと死ねが飛び交う戦場、時々なぜか踊り出す。
そんな中で追加1時間半、ついに始めに来た方のカップルが帰って行ったことでこの戦争は終結しました。


長い戦いだった。途中何度も移動しようと思った。でも耐えきった。リア充に勝ったんだ。注:勝ってません

謎の達成感を味わいながら独り帰る道は虚無だった。俺はなにしたんだろうか。気にせずに移動しろよ。でもまあ、またカップルの不可解な行動を見れたと思えば悪くない。


ただ、相手方から僕のことが見えていたのかどうかについては


カップルの生態:非リアは見えないらしい。


とでも付け加えておこうか。


うん、つらい。

15分チャレンジ

15分で雑に文章を書いてみるチャレンジです。完成しなくても15分で切り上げます。



親に自転車の後ろに載せてもらったのはいつが最後だろうか。僕の記憶に有る限りでは小2の頃に病院へ逝くときに載せてもらったのが最後である。

おおよその人がたぶんこんな感じ、あるいはもっと早いぐらいなんじゃないだろうか。

自転車の後ろに付けるチャイルドシートみたいなやつ、あれはなかなか小さいもので、成長につれてまともに座れるものじゃなくなる。たぶん小学校中学年ぐらいでも体の大きい人は、入るのが困難だったはずだ。ケツが収まりきらずなかなかみっともない姿になるのだろう。


物理的要因だけではない。

小学校高学年ともなれば、親との距離感みたいなのも気になり初めるだろう。あまりにお母さんとの距離が近すぎれば、マザコンという不名誉な称号は免れないだろうし、本人だっていつまでも母親に頼りっきりの人間でいたいなんて思わないはずだ。(いわゆる反抗期のはじまりだろうか)


こんな風にして自転車の後ろに載せてもらうという行為は徐々にはばかられるものとなってくるはずなのだ。 



しかしながら僕の小学校時代の記憶には一人だけ例外がいた。


その例外の彼は「THEお坊っちゃま」というやつで、家がでかいはマンションもってるは畑ももってるだという地主家系の跡継ぎ息子とあって、大事に育てられていたそうだ。ここでは仮にI君としておこう。

特に母親が溺愛していて、小5にもなって自分の息子のことを〇〇ちゃんなんてよんでるんですよ。

家のなかならまだしも、友達が家に遊びに来ているときも言うんですから、普通たまったもんじゃない。

さらに小5にもなって風呂に一緒に入っているというから驚きだ。色々とぶっ飛んでる。

風呂まで一緒なんだから、その他の日常生活なんて言わずもがな、なんでもお母さんがやっちゃうんですよね。

当たり前のようにろくに日常生活を一人で遅れないI君。


地域の行事だったり林間だったり修学旅行だったりで彼の行動を見ているとなんだかいたたまれなくなってくるんですよね。

荷物の片付けは壊滅、服装も滅茶苦茶。


まあ、そんなこんなであっさりとマザコンだとばれるわけ。


そんなI君ですが、勉強の方はなかなかにおうちの都合で頑張らされておりまして頑張っておりまして、早くから塾に通って中学受験を目指していました。


この塾というのが問題で、なんと奈良の方まで通っていたのですね、普通に6時間目終わって向かうと時間がまずい。

そんなわけで、お母さんが迎えにくるんです。自転車で。

4年生の時とかまでならまだわかりますよ、でもね、これが5年生6年生になってもやってるんですよ。

そりゃもう、当たり前のように好奇の目にさらされる訳です。

小6の時なんて塾に行く日が増えて週三回ぐらいその光景がみられるのですから、周りのみんなはほっとかない。

I君がお母さんの後ろに載せられて、それも子供用のシートみたいなのに半ケツで座りながら帰っていく、それを窓から覗いて囃し立てる男子達。


ああ、懐かしい光景だ。


彼は結局無事に第一志望の中学に合格したみたいです。


しかしながらI君はその後、謎に不良に憧れた結果その中学をやめて地元の底辺中学として有名な公立中学に突如転入してきて、不良まっしぐらでした。

たぶん、マザコンの自分が嫌だったんでしょう。

*************

時間切れしました。
(このあと、今朝彼がバイクの後ろにノンヘルで乗っていたのをみた話をして、運転手が女の子だったとか書いて、母親から離れても後ろに載せられるのからは離れられなかったんだなというのを書いて、僕は後ろに誰か載せて走ってみたいみたいなの書いて締めるつもりだった。)