「書くことがない」と書いてしまうパラドックス

中学生の時、夏休みの宿題に「生活体験作文」なるものがあった。

名前の通り、今までの生活で体験したことについての作文。とにかく面倒な代物だったと記憶している。

 

原稿用紙3枚1200文字という多めの文字数はさることながら、この宿題が最高にめんどくさい理由がもう一つ。

 

なんとこの作文、クラス全員で発表会をおこない、さらにクラスから一人代表を決めて学年発表会へ、挙句の果てに学年から一人代表を決めて、文化祭で朗読させられてしまうのだ。だれも幸せにならない、最悪なシステムであろう。

 

少なくともクラス全員の前で読まされるのは確定なのだから、あまりに恥ずかしい内容は書けない。僕は学校では優等生を演じていたので、最低限中身のある作文を書くことが必要だった。しかし、クラスの中でトップクラスにいい内容だと、代表なんかに選ばれかねない。そのへんのさじ加減が本当に難しい。どこまでも面倒な宿題だ。

 

しかしながら、こんなことまで考えている人はごく少数なようで、半数以上の生徒が提出すらしないのが現実。そういう生徒はどうなるかといいますと、何回かあるクラス発表会の時間で強制的に書かされるんです。

正直なところ、このタイミングで書かされるような連中の作文なんて、所詮代表の候補になるようなことが無い低レベルな物がほとんど。中には日本語として破綻してるような物もちらほら。話の内容も8割がた「友達と遊んだ」という事実をひたすら書いてるだけ。なんの面白みもない。

 

残念ながら、この辺の話は1年の夏休み明けに初めて判明するもんですから、うっかりほかの人が体験しようが無い話を書いてしまった僕は、不運なことに代表に選ばれてしまった。見事、いけにえにされてしまったのだ。

 

そして2年目、去年の教訓をいかして「部活で頑張ったこと」みたいな当たり障りのない作文を書きまして、発表会をうまく乗り切ったのです。

部活について書く人なんていくらでもいますから、まさか代表になるわけないでしょう。勝利を確信しました。

今年は誰がいけにえになるのかな、なんて考えながらほかの人の発表を聞きます。

 

やはり、その年も未提出者は多く、発表会の間原稿用紙を渡され書いている様子があちらこちらで見えます。僕はこの時、「どうせしょうもない作文書くんだったら、さっさと書いて早く発表しろよ」ぐらいに思っていたのでしょう。

 

でも、2回目の発表会で、強烈なある”事件”が起こった。

 

2回目の発表会も終盤、残すところあと数人、そこに割り込む形で今書いた作文を読むこととなったやつがいました。彼の名前はI崎君。剣道部に所属する筋肉バカ系のキャラクター、僕とはほとんど接点のないようなタイプ。正直この時点では、バカな運動部員ぐらいにしか認識していなかったはずだ。代表になるようなタイプとは間違っても思わないだろう。

 

ところが発表が始まった瞬間、僕の偏見が大いに間違っていたことが発覚する。

 

 

 

彼が書いてきた作文のタイトルは「何も書くことが無い」。

 

 

 

 

 

???????????!!!!

何も書くことが無い????????

 

そのようなタイトルの作文が許されてしかるべきだろうか。書くことが無いという作文にいったい何が書いてあるのだろうか。

 

教室中で笑い声が起こる。

 

いや、これはあれだ、いわゆる出オチというやつだ。そう思い続きを聞いていく。

 

 

 

『「書くことが無い」というのは、心理学的に言うと「書きたくない」という心理状態にあるということだ。私はなぜ書きたくないのか、この作文にて検証してみたいと思う』

 

!?!?!?!?!?!?!?!?!

あの野郎、作文で突然心理分析を始めやがった。俺は一体何を聞かされてるんだ?

 

 

『・・・つまり私は、この作文を書かないという選択肢がないにもかかわらず、これを書くことに魅力を感じないために、これらの感情の板挟みとなった結果「書きたくない」という状態にあるのだろう。』

 

おい、きっちり分析できてるじゃないかよ、これは俺の知ってる作文じゃねぇ。

作文2.0だ。ニュータイプの誕生、まさに歴史的瞬間。

 

 

 

 

『・・・ところで、私はいま「何も書くことが無い」というタイトルで作文を書いている。でも、実際には書くことができた、つまり書くことがあったということである。なので、このタイトルはこの作文にふさわしくないのかもしれない。この矛盾についても議論したいと思うが、もうすぐ原稿用紙が埋まりそうなので、ここに書くことは難しい。』

 

かの天才数学者フェルマーはのちに「フェルマーの最終定理」と呼ばれることとなる定理を発見した時「この定理に関して、私は真に驚くべき証明を見つけたが、この余白はそれを書くには狭すぎる。」と記した。

 

ここにも同様の天才がいるのかもしれない。我々凡人の想像をはるかに超えた理論を構築しえたのだろうか?このパラドックスを容易に解決する逆転の発想が存在するのか?もったいぶらずに教えてほしい。もはや宿題なんてどうだっていい。必要とあらば、俺が代筆してやる。続きを教えてほしい。

 

 

 

『最後に一つだけ書きたいことが思いついたので書いておきます。』

 

なんだ?書くことがないといいながら見出された彼の本当に伝えたいことは。一体何なんだ?とても重要なことに違いない。

 

 

 

 

『夏休み中筋トレしてたんですが、めちゃくちゃ楽しかったです。一緒にやりたい人は昼休み鉄棒のとこでやってるんで来てください。』

 

筋肉はすべてを解決するようだ。脳筋という言葉は、脳=筋肉を意味する。すなわち、彼は全身脳なのだ。筋肉はすべてを解決するのだ。

 

 

 

教室は終始笑いが絶えない発表となった。クラスのヤンキーたちも称賛を送る。先生は苦笑いである。僕は笑っていた。そして感激していた。

こんなすごい奴がクラスにいたなんて。他人は見かけによらないものだ。

 

 

代表選びは一瞬で決まった。ほとんど満場一致で彼の作文が選ばれた。真剣に代表の座を狙っていた女子が少し気の毒にも思えたが。

大阪では笑いが正義という一例だろう。でもそんなことどうでもいい。

 

 

次の昼休み、僕はI崎君に声をかけた。お前の作文すげえな、みたいな内容だったと思う。

帰ってきた返事はこうだった。

「おう!ありがと。それより懸垂せえへんか?」

 

そして僕は半ば無理やり、鉄棒に連れていかれた。これが3年の卒業まで続く日課になり、彼とその仲間たちが中学時代を彩る友達になろうとは、この時はまだ知る由もない。