2番目に楽しいらしい

一番になること、それはとても素晴らしいことだ。

誰だって一番になりたい、こう思うのも当たり前、しかし誰もが一番になれるわけじゃないのも確かだ。

いつこの事を思い知るのか、人によっても差があるだろう。

徒競走で絶対に勝てない相手に出会ったとき、テストで100点しかとらないやつに出会ったとき、圧倒的なお笑いセンスを持つ奴に出会ったとき、容姿が頭抜けて優れた奴に出会ったとき·······

 

こういう奴らに出会ったとき、どうするのが正解なのだろうか。

闘うのが正解なのだろうか?
闘って勝てる見込みがあるのなら正解かもしれない。でも、一番になれないと気づくレベルだ、そうそう勝てるはずがない。

逃げるのはどうだ?
逃げて済む程度しか一番になりたい欲がないならそれでいい。
そうじゃないなら未練が残る。
そして、たぶん逃げた先でもまた勝てない奴に出会う。逃げ続けるの??



たぶん逃げるよりは闘ったほうがいい。
相手は人間だ、同じ土俵で闘っている限りはノーチャンスになることは少ない。
なにかしらの事情で相手が土俵から立ち去れば最後まで闘い続けた者の勝ちなのだから。


一番になるために闘う姿は格好いい。

いつぞやにスパコンの予算に対して「2位じゃダメなんですか」とかいったオバサンが批判されていたのも、はなから闘わないで二位で良いはずがないと思った人が多くいたからなのだろう。
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二位じゃダメなんだろうか?

いや、スパコンは一位であってほしい、だって国際競争なんだもん、でもでも普通の人がなにかしらの分野で二位になる、これも十分に立派なんじゃないだろうか。





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大阪で2番目に楽しいボールいれあそび。



予備校からの帰り道、なぜかいつもとは違う人だかり。


ふらふらと近づくとどうやら祭りのようだった。


日々浪人生という身分の中で勉強をしているのだが、勉強じゃどうやっても一番になれないのは知っている。
得意科目の生物でさえ高校時代からだいたい二番か三番だった。予備校にいってもそれは変わらない。

いつもそうだった、僕は大抵一番になれない。二番か三番止まりだ。

走ってもクラスで三番ぐらい、テストだっていつも数点だけ高い奴がいた、カードゲームでも金に明かして札束で殴りつけてくる奴だけは勝てなかった。




でも僕はこの看板を見たとき少しだけ救われた気がした。

この看板自体は1番と言わないことで他の出店とのトラブルを回避しているだけだと思われる。
間違ってもこの看板を見て救われる人がいるとは想定されていないだろう。

しかしながら、2番であることを誇らしげに掲げるこの姿勢、疲労によりだいぶおかしい精神状態の僕にはとても響いたのだ。

そうだよ、二番だって誇って良いんだよ、ありがとう名前もしらぬ出店のおっちゃん。


好きな男子ランキング迷ったら二位か三位に入れられる枠の僕は、明日から自信を持って生きていこうと心に誓うのだった。