東京オリンピックがあれば、また会いましょう

注:この記事は成人式直後に書かれたものです。

2020年、東京にオリンピックは来なかった。

2019年末は間もなく東京オリンピックの年がやってくると、どこかいつもよりも楽し気だったかもしれない。
オリンピックに合わせて作られた大河ドラマ「いだてん」は、途中で2度もキャストに不祥事が起こりどうなることやらと心配もしたが、終わってみれば非常に面白く、かつよく作りこまれたドラマであった。国威掲揚ドラマだといってしまえばそれまでかもしれないが、このドラマの続きを見れるのは現代を生きる我々なのだと思うと、夏が来るのが一段と楽しみになったものだった。

もちろん、当時の僕にとってはあと数週間に迫ったセンター試験の方が大事であったため、そんなに浮ついている暇もなかった。それでもどこかわくわくしてしまうような、そういう力があるぐらいオリンピックイヤーがやってくることに皆盛り上がっていたように思う。

だけれども、わずか数か月で状況は一変。ついにオリンピックは1年延期となってしまった。



そこからが悲惨だった。パンデミックの波は日本にもあっという間に押し寄せ、あれよあれよという間に緊急事態宣言なんて言うものが出され、世の中はとにかく自粛自粛自粛。僕については大学に合格するも夏が過ぎるまで登校することはなく、自分史上もっとも暇な夏休みを過ごし、やっと秋になり登校できるようになっても累計で十数回登校しただけで大学1年が終わろうとしている。経済的に精神的に苦しくなった方もたくさんいたのだろうが、僕だって貴重な大学生活の4分の1をこんなことに使ってしまったのだ、悲惨以外の何物でもない。

そんな中でも、嬉しいことももちろんあった。
ようやく始まった対面授業では志を同じくする同級生と仲良くなれたし、いいバイト先に巡り合うこともできた。
そして、つい最近のことだが、成人式もどうにか開催された。
そんなわけで成人式の話を少し。


中学卒業時点から5年も経ちますと、一部の仲の良かったやつら以外大半は大して記憶にないものです。ましてこの状況下で行う成人式ですから、ほぼ全員マスク着用なわけで顔が半分以上見えない。もはや誰が誰だかわかりません。しかも相当な人数が来ているのですから、おおよそ中学校ごとに席が決まっているとはいえ話しかけたい誰かを見つけるというのは至難の業です。向こうから声をかけてくれた人を除いて、誰かを見つけることは僕にはできませんでした。

ちなみに、会場は高校ラグビーの聖地として知られる花園ラグビー場、1年前にはここでワールドカップの試合も行われていた場所です。
式は特に問題なく進み、IPSの山中教授や囲碁の井山棋士なんかのビデオメッセージがスクリーンに放映されたりしてました。僕は途中から式そっちのけでバイト先と電話で仕事の依頼を受けていたところだったのでそれどころじゃなかったです。これでもいいバイト先なんですよ。


成人式は式が終わってからが本番といわんばかりに、会場を出てから集合する新成人たち。いかんせん人が多いので、お互いどこにいるのかわかりづらい。目印となるものといえば、ラグビー場の入り口上部に掲げられている大きなHANAZONO RUGBY STADIUMの文字です。皆さんスマホに向かって口々に「Mの下!!」「Nの前!!!」とか言ってましたが、それで縦軸は決まっても横軸が決まらないのでなかなか会えるもんじゃありません。NとかAとかだと複数あってそもそもわからないですし。
そうやってどうにか集まってみんなで写真を撮っている集団がたくさんあったのですが、僕には無縁でしたね、まして振り袖姿のかわいい女の子となんて需要がない、中学の卒業式みたいに誰彼構わず写真を撮るみたいなことはありません。お互いその辺は理解しています。大人ですから。


早く解散しろと運営が声をかけているのですが、そんなもの届くはずもなく浮かれる群衆。帰り際に見たんですが、明らかに酒で酔いつぶれて吐いてた人とかもいましたね。救急車を呼ばれていました。5年もたてば成人式の良い思い出になるのでしょうか。


早々と用事もないので撤退し、ちょうど昼時、集まって集まって会食というわけにも行かないのでどうしようかと仲間内で相談していると話は突飛な方向に向かい、「ドミノピザで無料でもらえるピザを各自もらってオンライン飲み会」ということに。こういう馬鹿気たことを真面目にできる友達がいるというのは本当にうれしいことです。馬鹿みたいに成人式後に集まって呑みに行くような奴らと過ごすよりよっぽど有益で安全、そして先進的。やはり持つべきものは友だ。


僕は家が一番近くの奴を自分の家に招き、二人で参加した。彼は推薦で高知大学に行くことになった、強烈な虫好きである。高校は地元の中堅どころの高校に行ったのだが、僕は同じ中学だった同級生の中で最も彼を尊敬している。好きを貫いて、それで進路まで決め、そして大量の虫とともに一人暮らしをしている彼は本当に毎日が楽しそうだ。正直うらやましいぐらいだ。一方の彼はドミノピザの求人票を見て給料が高いことに驚き、そして羨ましがっていたのだが。隣の芝生は青いということか。

オンライン飲み会の時間は本当に楽しく進んでいった。お互いの近況報告に始まり、昔話をしてみたり、バカ話をしてみたり。かとおもえば、画面越しの友人が突然謎の生物に変貌したり、漫画みたいなキラキラおめ目になったり、背景を変えて世界旅行をしてみたり。オンラインは決してオフラインの劣化版じゃあない。オンラインにはオンラインなりの楽しみ方がある。新しいものに適応していけることこそが、若者であることの特権ではなかろうか。


そんな中で、高知大学に行った友人の家に凸るという話が持ち上がった。実はもう2年ぐらいずっと言っているのだが、未だに誰一人実現していない。僕も本当は夏休みに行きたいと思っていたのだが、世の中があんな状態じゃ行けたものではなかったのだ。


彼は虫の世話のため、夏の間もこっちに帰ってくることはなさそうだという。虫がたくさんいるなかで寝れるのなら、いつ来てくれたって構わないと言ってくれた。


しかし、大阪から行っても迷惑にならないのだろうか。万が一のことが起こって、彼が居心地悪くなるようなことがあってはならない。今年の夏、どうなっているかなんて誰もわからない。

そこで、僕はふと思い付いたかのようにこんなことを言った。
「じゃあ、オリンピックがあったら行くわ」

"行きたい"とも"行けたら行くわ"ともとれる奇妙な条件だ。どうしてこんなことを思い付いたのだろうか。ワクチンとか、もっと現実的な条件もあったはずだ。なのに、なぜかここでオリンピックだった。


平穏にオリンピックが開催されて、海外からも客が来て、またお祭りムードに包まれる未来に希望を持ったからだろうか。

成人式すらままならず、開催できなかった他地域からは妬みの声すら聞こえてくる。こんな中でも想像しうる輝かしい未来、オリンピックにはそれだけの力があると思えるんだ。


こんな提案を彼は、そのときは一緒にお酒を飲もう、と快く受け入れてくれた。

彼が泊めてくれるというのなら、お酒ぐらいいくらでも買っていってやろう。







なんだかんだで時間があっという間に過ぎていき、そろそろお開きの頃合いとなった。高知からこのために来ていた彼はその日中に戻らなくてはならないらしい。

帰り際、彼はこう言った。
「じゃあまた、オリンピックがあったら夏に会えるなぁ」

どうやら、本当にそういうことで合意となったようだ。こうなったら、なんとか開催されてほしい。

記憶の片隅に転がる謎のゲームを探す

いつ、どこで見たのかも覚えていないのに、内容だけ妙に覚えているゲームがある。
おそらくたった一度しか見ていないし、プレイしたかの記憶もないのにデモ映像だけ記憶に残っている。

このゲームは一体何だったのだろうか。ふと思い出すたびに疑問に思っていたのだが、特に調べることもなく今までやり過ごしてきた。
しかし、このたび見事判明したので、その過程ともに詳細を以下に記していく。

****************

いつぞやに見た謎のアーケードゲーム。確かなのはレースゲームの筐体であったことぐらい。それとデモモードの映像で車が派手に横転して歩道に突っ込んでいくというシーン。このシーンがホラーな雰囲気であったことも覚えている。死神にとり憑かれて事故を起こしているみたいな演出だったような気もする。怖かったから妙に記憶に残っているのではなかろうか。
いつ見たのかというのはあまり記憶に残っていない。おそらく幼稚園か小学校低学年の頃ではないだろうか。15~10年ほど前ということになる。

とりあえずホラーな雰囲気であったということを頼りに「レースゲーム ホラー」なんて調べてみるが、大した情報は得られなかった。ホラー系のレースゲームなんてジャンルはあまりないみたいだし、あったとしてもまるっきりレースゲームの筐体ってことは無さそうだ。

さて、というわけでホラー路線はいったんおいといて、事故が起きるという要素に注目していくことにしましょう。アーケードのレースゲームで事故なんて要素はなかなかないわけでして。もしあったとしたら、イニDはショートカットするたびに横転してペシャンコでしょうし、湾岸なんて黄色い車を巻き込んだ多重事故が連発します。
「レースゲーム アーケード 事故」なんて調べてみたら、一番上にあるゲームのウィキペディアが表示されました。
ja.wikipedia.org
交通事故をシミュレートしたレースゲームってあるじゃないですか。これじゃね?と思ったところ、読んでいくとさらに

路外転落や追突、踏切事故等の大惨事を起こした際には自車が吹っ飛ぶ映像が「うわぁぁぁぁぁっ!!!」「ヒャーー!!!」「ヒエーッ!」などの絶叫と共に流れ、莫大な損害賠償金が加算される。

なんてあるじゃないですか。自車が吹っ飛んで絶叫って完全に記憶と合致しています。おそらくこのゲームとみて間違いないでしょう。しかし、スリルドライブシリーズは3作あり、いずれも2005年時点で存在していたということです。これではどれだったのか絞り込むことができません。

というわけで、youtubeを使って3作ともデモ映像を探し出してきました。
初代スリルドライブ

スリルドライブ

スリルドライブ

この中だと、横転して歩道に突っ込んでいくというイメージに一番近いのは2ではないでしょうか。個人的には一番ホラー性も強いと思います。幼稚園児が見たら怖がるでしょうね。最後の叫び声なんてなかなかにホラーですよ。見てたら、なんとなく夜っぽい雰囲気があったなあとかも思い出したんでまずスリルドライブ2で確定かと思います。多分夜の雰囲気から死神みたいなイメージに結び付いたんではないでしょうか。ちなみにこの時期で死神といえばおそらくデスノートです。となってくると、僕がデスノートを知ったのは小学生になってからなので、おそらく小1の頃に見たと考えるのが妥当でしょう。

かくして長年の疑問に終止符を打つことができました。こうして正体がわかったのですから、ぜひ遊んでみたいと思うのが人情、しかしながらウィキペディアの後ろの方にこんな記述が。

2021年3月現在、1作目は絶滅、2作目は絶滅寸前になっている。

どうやらなかなか厳しいようです。ちなみにこれは調査の過程で思い出したことなのですが、3が昔地元にあったゲーセンに設置されていたという事実が判明しました。湾岸湾岸湾岸湾岸、イニDイニDと並んでその隣にあったのですが、当時遊んでいる人はほとんど見かけませんでした。なぜかシートベルトのある謎のゲームみたいな雰囲気でしたが、まさかこんな画期的なゲームだったとは。一度も遊ぶことなくゲーセンがつぶれてしまい、筐体はどうなったのやら。
あの時周りの友達を尻目にクソゲー覚悟で100円入れることができていたなら、と悔やんでも悔やみきれません。

結局疑問は晴れたものの、なんとなくモヤモヤした結果となってしまいました。
もし、どこかでプレイする機会があったならば、ここに追記することとしましょう。

コモリマス・イブ

山下達郎のクリスマス・イブのリズムで



雨は夜更け過ぎに 雪へと変わるだろう
外でない わからない
きっと家を出ない 引きこもりのクリスマス・イブ
実感ない normal night

心深く 溜め込む思い 吐き出せそうもない

必ず今夜には いてそうな気がした
パリピ リア充

(間奏)

また醸し出す 自粛の空気 遠隔授業続く

ツイートにはクリぼっち 独り者ざわめき
傷の 舐めあい

明日は8時過ぎに zoomへ向かうだろ
Blue light 眼痛い
きっと春も来ない あこがれてたキャンパスライフ
来年も クリぼっち



(本当はクリスマスイブか当日にでも一人で神戸の街をふらついてきたかったんだけど、対面授業少なすぎて企画だおれに。今年は御堂筋のイルミネーションも見れてないし、クリスマスっぽいものをほとんど見てないから全くそんな時期になってる印象すらない。去年の方がまだクリスマス感あったようにさえ感じる。2週に一回の対面授業と、バイトと教習所、これしか外出することが無いのである。もはや彼女がいるとかいないとかどうでもいい次元である。来年はせめてボッチででもいいからクリスマスを楽しめる世界になっていてほしいものだ。)

iPhoneは好きじゃないけどCMは秀逸だと思うんだ

僕はスマホAndroid一筋と決めている。買い切りのアプリだけでもう1万円近く使っている。いまさらiPhoneなんて考えられない。

 

しかしながら、なぜか日本ではiPhoneが主流なのである。スマホといえばiPhoneだろ、と言わんばかりに、街中を歩く人々はiPhone、クラスメイトもiPhone、隣のクラスのイケメンもiPhone、美人の先輩もiPhone、当然カップルどうしでiPhone、写真を撮ってインスタにあげるのもiPhone、それを見ていいねするのもiPhone、プレゼントにはiPhoneのケースを送りあい、いずれiPhoneそのものが2人の歩んできた歴史の記憶になり、時は流れ、婚姻届けをiPhoneで撮影して、結婚式の招待はもちろんiPhoneで済まし、招待された仲間も当然iPhone、なんなら新郎新婦のご両親までiPhone、記念撮影は間違いなくiPhoneで撮るし、仲間たちとAirdropで写真共有したりして昔話に花を咲かせるんでしょうし、新婚生活にはライトニングケーブルが必須、間違ってUSBケーブル買ってきて喧嘩なんてこともあるかもしれないけど、その日はどっちかが充電我慢するんでしょうね、それでついに子供ができて、子供の成長の記録にはもちろんiPhone、多分立った瞬間とか永久保存でしょう、そうして10年ぐらいたって子供にスマホをせがまれて、そりゃもちろんiPhoneを買い与えるでしょうね、こうやってiPhoneは遺伝していくのです。当然これからもiPhoneユーザーは増え続けるでしょう。

 

それに対してのAndroidはといいますと、ケースはすべての機種を合わせてもiPhoneのケースの品ぞろえに負けてることが多々あるのです。ほしいデザインがiPhoneにしかないこともあるあるです。その程度の存在感なのです。まるでどこぞの国の野党のごとしです。このような状態ではiPhoneユーザの増加に対抗することは不可能です。きっと子供ができてもクラスメイトの大半がiPhoneを持っているのならばiPhoneをせがんでくることでしょう。

「お父さん、お母さん、あんな……」

「なんや、そんな深刻な顔してどうしたんや?」

「実はそろそろスマホ欲しいなと思ってて......」

「あら、そう、それじゃあ今週末にでもドコモのショップにでも行こうかしら」

「いや.....それがな、あのな……俺、iPhoneが欲しいねん......」

「そっ、そうか。いや、別に何でもない。iPhoneやねんな、友達もiPhoneおおいやろうしな。うん、そっかそっか。」

「お父さんはAndroidの方がよかった?」

「いやいやそんなことないよ、なあお母さん」

「.....ああ、うんそうね。じゃあ今週末iPhone買いに行きましょうね」

 

こんなやり取りをする日がいつか来るのです。このままではいずれ日本からAndroidユーザーは消えてしまうでしょう。しかしながら僕はAndroidにALL-INしてしまってるのです。たとえ沈みゆく船だとしても最後まで乗り続けることを覚悟したのです。

 

こんな感じで、僕はあまりiPhoneが好きではないのです。できればAndroidにも優しい世界になってほしいし、Apple原理主義の方にはお帰りいただきたいと思います。

 

僕はAndroidを使いだしておよそ4年半ほど、今までに3台のスマホを使ってきました。買い与えられたのが高校生になってからと比較的遅かった僕は、中学時代には連絡がつきづらい人として名を馳せていました。みんなLINEばかりで電話もメールもしてくれず、ガラケーを持っていてもほとんど連絡はもらえず、僕の知らないところでいろいろ話が進んでいることも多々ありました。

 

とにかく連絡のつかない人間でしたので、周りが誘いたくても誘えないみたいなことがあったらしく、卒業後すぐにクラスのメンバーで集まって焼肉に行くみたいな催しがあったのですが、もちろん僕に連絡は来ず。それだけならまだしも、当日に僕も偶然家族と会場となる焼肉屋に行ってしまい、鉢合わせてしまうという間の悪さ。父には僕がハブられているのではないかと心配される始末。

クラスでかなり鬱陶しがられてた奴も参加していたのを見るに、純粋に誘えなかっただけだと信じたい。そう、間違いない。

 

よく考えてみれば中学時代にメールのやり取りをしたのは9割がた、当時付き合っていた彼女とだったように思います。彼女もスマホではなくガラケーユーザーで、まさに指先で送るキミへのメッセージ。初めて持つ携帯がスマホというのが当たり前となった今、CHE.R.RYの歌詞の意味を理解できる中学生なんているのでしょうか。もはや理解されない過去の曲となってしまったのかな…… なんだか寂しいものです。

 

そして、親との約束通り高校入学を機にスマホを手に入れ、LINEなんぞというものを使いだすのですがこれがよくわからない。LINEになれるのに精いっぱいの僕にかつてのようにメールのやり取りを楽しむ余裕も生まれず、流される形で現代のごく普通の高校生としてのスタイルを手に入れた。そしてその過程で彼女にはあっさり振られてしまう始末。やはり中身はいまだ経験の少ない少年である。お互い新天地でうまくやっていこうよ。少し落ち込んだりもしたが、高校の生活に忙殺されるうちにすっかり過去のことになってしまったのです。

 

そんな感じで1年があっという間に過ぎていき、初代のスマホが壊れたりして、ちょうど3年前の今頃、修学旅行に行ったのです。行先は沖縄。まさかの中学の時と同じ。しかも驚くべきことに宿泊するホテルまで同じと来た。そういや中学の時はホテルから彼女にメール送ったりしたんだっけ、なんて思い出す。

 

それが引き金になり、彼女が今どこで何をしているのか気になってしまった。どこの高校に行ったのかも聞いていない。修学旅行特有の夜更かしで完全に深夜テンション。いっちょ調べてみますかと名前でGoogle検索。特徴的な名前だから引っかかれば特定できるはず、という思い込みだったのだが、見事にヒット。

 

ヒットしたのはなぜか水泳の大会の記録。しかし確実にそこには彼女の名前があるのである。高校も通っている可能性の大いにあるところだ。他の部分では見事に整合性が取れているのに、水泳部にいるということだけ整合が取れない。同じ吹奏楽部のあんなに華奢な奴が水泳部、まったく理解できない。

 

ずいぶん謎に思ったんだけど、これ以上詮索するのはよそうと思った。これだけの情報があればtwitterのアカウントを見つけることも造作ないはずだし、それが鍵垢でないのなら、一気に謎が解ける可能性もある。でも、それは完全にストーカーの領域だ。名前で検索してる時点でストーカーかもしれないが。

 

こんな過去のことを考えるぐらいなら、明日の国際通りで何を買うか考えた方が楽しいに違いない。忘却の彼方に追いやることにした……

 

 

 

このことを思い出したのはつい数日前のこと。どうして思い出したのかって?

 

 

 

 

 こんなツイートを見たことあるだろうか?

 

Twitter上には裏垢女子だとか名乗って男性が好きそうな、いわゆるアダルト系の画像をのせていいねだとかフォロワーなんかを稼ぐ人たちがいるんですね。

9割以上は何かしら詐欺のようなものだと思うんですけど、ごくまれに本物が混じってるんでしょうか、大の男どもが気色悪い文言並べてリプライしている姿が観察できます。明らかに詐欺系のアカウントに「君かわいいね!(^^)!」なんて送ってる自称30代イケメンなんて見た日にはそれだけで1日は笑っていられます。

 

でも、実際に本物は多分いるんでしょうね、児童買春とかで捕まったニュースを見てるとSNSで知り合ったとか多いですし、あるいはただただ自己顕示欲でやってしまうこともあるんじゃないでしょうか。

そんな人たちに警告する警察のアカウント。しかしながら、その手のアカウントに集中的にリプを送り付けてるとなると、逆にリプをたどればその手のアカウントにたどり着けてしまうという欠陥を抱えているんですね。ネット上では、警告はしてくれども守ってはくれない。警察にも限界があるようです。

 

直接会うのは論外として、写真に写りこんだものから特定されてしまう今日この頃、とにかく自己防衛が必要とされているのです。

そんなネットの世界で、僕は高校、大学と所属先を晒しており、うまく情報を合わせたら調べようと思えば誰でも本名にたどり着けてしまうという脇の甘さ。この警告が少し気にかかりました。はっきり言ってストーカーし放題。無論そんなことする人はいないでしょうから心配する必要は無さそうですが。

 

けれでも、誰かが悪意をもてば自分の情報が容易にさらされてしまう、そういうのは明確にリスクです。

 

このことを端的に表していて秀逸だなと思ったのがiPhoneのセキュリティーについてのCMなわけですよ。

あのCMは典型的なカード番号とかだけじゃなくて、離婚弁護士のサイトを見たこと、補正下着を買ったこと、心拍数、そんなものまできちんと個人情報と位置付けて、その情報が周囲にさらされるリスクをうまく表現している。そしてそれらはiPhoneにすることによって守られる。なるほど、商売がうまい。

iPhoneは好きじゃないですが、このCMの価値は認めたいところです。

 

個人情報って大事だなと思ったところで、過去のツイートから怪しいものを削除する作業なんかをやってたわけなんですよ。

僕はいくつかアカウントを持っていて、そのうち一つに中学時代の内輪で使ってたものがあるんです。それもそこそこ使ってましたから、鍵アカとはいえ一応整理しておきましょうと。

 

フォロワーの大半が大学生となり、もはや当時のアカウントを使っておらず、ごくわずかな知り合いとつながっているだけのアカウント、正直お互い顔も名前も割れているもの同士です、消すようなツイートもないかなと思って、昔のツイートをさかのぼっていくのです。

 

最初の方は公開にしていたこのアカウント、初期のフォロワーの中にはなぜか京大理学部の学祭のアカウントとかが混じったりしているのです。そのことに驚いた、みたいなツイートにはそのアカウントからのいいねが飛んできてたりして非常に面白いのです。

 

そんないくつかのいいねの中に、まったく知らないアカウントが一つ。

 

しかも1度ではなく何度か連続して。気になって調べてみると、そのアカウントにすでにフォローされていたことが発覚。はて、これは誰だ?業者?

しかし、業者が鍵アカなんてのは考えられません、名前から察するにこの方はおそらく女性、しかし僕の把握しているなかにこんな人はいません。知らぬ間にフォローされていた謎の女性。ロマンがあるように思えて、そこそこ不気味である。

IDも確認してみると、@〇〇_swim の文字。これはまさか.........?

 

いや、確かに名前との共通性もある、水泳部であったということとも合致する、でも当時の僕が気づかなかったというのだろうか.......? いいねまでされているのに?

 

 

ストーカーされるわけないといったな。前言撤回。十分危ないじゃないか。

 

こんなのiPhoneでも防げないに決まってる。やっぱりiPhoneは好きになれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「書くことがない」と書いてしまうパラドックス

中学生の時、夏休みの宿題に「生活体験作文」なるものがあった。

名前の通り、今までの生活で体験したことについての作文。とにかく面倒な代物だったと記憶している。

 

原稿用紙3枚1200文字という多めの文字数はさることながら、この宿題が最高にめんどくさい理由がもう一つ。

 

なんとこの作文、クラス全員で発表会をおこない、さらにクラスから一人代表を決めて学年発表会へ、挙句の果てに学年から一人代表を決めて、文化祭で朗読させられてしまうのだ。だれも幸せにならない、最悪なシステムであろう。

 

少なくともクラス全員の前で読まされるのは確定なのだから、あまりに恥ずかしい内容は書けない。僕は学校では優等生を演じていたので、最低限中身のある作文を書くことが必要だった。しかし、クラスの中でトップクラスにいい内容だと、代表なんかに選ばれかねない。そのへんのさじ加減が本当に難しい。どこまでも面倒な宿題だ。

 

しかしながら、こんなことまで考えている人はごく少数なようで、半数以上の生徒が提出すらしないのが現実。そういう生徒はどうなるかといいますと、何回かあるクラス発表会の時間で強制的に書かされるんです。

正直なところ、このタイミングで書かされるような連中の作文なんて、所詮代表の候補になるようなことが無い低レベルな物がほとんど。中には日本語として破綻してるような物もちらほら。話の内容も8割がた「友達と遊んだ」という事実をひたすら書いてるだけ。なんの面白みもない。

 

残念ながら、この辺の話は1年の夏休み明けに初めて判明するもんですから、うっかりほかの人が体験しようが無い話を書いてしまった僕は、不運なことに代表に選ばれてしまった。見事、いけにえにされてしまったのだ。

 

そして2年目、去年の教訓をいかして「部活で頑張ったこと」みたいな当たり障りのない作文を書きまして、発表会をうまく乗り切ったのです。

部活について書く人なんていくらでもいますから、まさか代表になるわけないでしょう。勝利を確信しました。

今年は誰がいけにえになるのかな、なんて考えながらほかの人の発表を聞きます。

 

やはり、その年も未提出者は多く、発表会の間原稿用紙を渡され書いている様子があちらこちらで見えます。僕はこの時、「どうせしょうもない作文書くんだったら、さっさと書いて早く発表しろよ」ぐらいに思っていたのでしょう。

 

でも、2回目の発表会で、強烈なある”事件”が起こった。

 

2回目の発表会も終盤、残すところあと数人、そこに割り込む形で今書いた作文を読むこととなったやつがいました。彼の名前はI崎君。剣道部に所属する筋肉バカ系のキャラクター、僕とはほとんど接点のないようなタイプ。正直この時点では、バカな運動部員ぐらいにしか認識していなかったはずだ。代表になるようなタイプとは間違っても思わないだろう。

 

ところが発表が始まった瞬間、僕の偏見が大いに間違っていたことが発覚する。

 

 

 

彼が書いてきた作文のタイトルは「何も書くことが無い」。

 

 

 

 

 

???????????!!!!

何も書くことが無い????????

 

そのようなタイトルの作文が許されてしかるべきだろうか。書くことが無いという作文にいったい何が書いてあるのだろうか。

 

教室中で笑い声が起こる。

 

いや、これはあれだ、いわゆる出オチというやつだ。そう思い続きを聞いていく。

 

 

 

『「書くことが無い」というのは、心理学的に言うと「書きたくない」という心理状態にあるということだ。私はなぜ書きたくないのか、この作文にて検証してみたいと思う』

 

!?!?!?!?!?!?!?!?!

あの野郎、作文で突然心理分析を始めやがった。俺は一体何を聞かされてるんだ?

 

 

『・・・つまり私は、この作文を書かないという選択肢がないにもかかわらず、これを書くことに魅力を感じないために、これらの感情の板挟みとなった結果「書きたくない」という状態にあるのだろう。』

 

おい、きっちり分析できてるじゃないかよ、これは俺の知ってる作文じゃねぇ。

作文2.0だ。ニュータイプの誕生、まさに歴史的瞬間。

 

 

 

 

『・・・ところで、私はいま「何も書くことが無い」というタイトルで作文を書いている。でも、実際には書くことができた、つまり書くことがあったということである。なので、このタイトルはこの作文にふさわしくないのかもしれない。この矛盾についても議論したいと思うが、もうすぐ原稿用紙が埋まりそうなので、ここに書くことは難しい。』

 

かの天才数学者フェルマーはのちに「フェルマーの最終定理」と呼ばれることとなる定理を発見した時「この定理に関して、私は真に驚くべき証明を見つけたが、この余白はそれを書くには狭すぎる。」と記した。

 

ここにも同様の天才がいるのかもしれない。我々凡人の想像をはるかに超えた理論を構築しえたのだろうか?このパラドックスを容易に解決する逆転の発想が存在するのか?もったいぶらずに教えてほしい。もはや宿題なんてどうだっていい。必要とあらば、俺が代筆してやる。続きを教えてほしい。

 

 

 

『最後に一つだけ書きたいことが思いついたので書いておきます。』

 

なんだ?書くことがないといいながら見出された彼の本当に伝えたいことは。一体何なんだ?とても重要なことに違いない。

 

 

 

 

『夏休み中筋トレしてたんですが、めちゃくちゃ楽しかったです。一緒にやりたい人は昼休み鉄棒のとこでやってるんで来てください。』

 

筋肉はすべてを解決するようだ。脳筋という言葉は、脳=筋肉を意味する。すなわち、彼は全身脳なのだ。筋肉はすべてを解決するのだ。

 

 

 

教室は終始笑いが絶えない発表となった。クラスのヤンキーたちも称賛を送る。先生は苦笑いである。僕は笑っていた。そして感激していた。

こんなすごい奴がクラスにいたなんて。他人は見かけによらないものだ。

 

 

代表選びは一瞬で決まった。ほとんど満場一致で彼の作文が選ばれた。真剣に代表の座を狙っていた女子が少し気の毒にも思えたが。

大阪では笑いが正義という一例だろう。でもそんなことどうでもいい。

 

 

次の昼休み、僕はI崎君に声をかけた。お前の作文すげえな、みたいな内容だったと思う。

帰ってきた返事はこうだった。

「おう!ありがと。それより懸垂せえへんか?」

 

そして僕は半ば無理やり、鉄棒に連れていかれた。これが3年の卒業まで続く日課になり、彼とその仲間たちが中学時代を彩る友達になろうとは、この時はまだ知る由もない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

迷子は泡姫の夢をみるか

迷子になると結構な頻度でラブホ街か風俗街にたどり着くんです。

狙ってやってるわけではないんだけど、このあいだも岐阜駅前で迷った時は気がついたら風俗街だった。 

昼間に迷い混む分にはほとんど焦らない。しれっと通りすぎればいいんだから。しかし、夜はまずい。いろいろまずい。命の危機を感じるのです。


ちょうど一年前程前のこと。国立大学の二次試験を終え、不合格を確信した僕は、何をどう間違えたのか一度神戸駅まで行ってから、大阪にある自宅まで帰ることにした。真反対の方向なのに。ぜんぶ駅メモのせいだ。

阪急電車神戸高速鉄道を乗り継ぎ、高速神戸駅まで移動、そこからJR神戸駅に行き東海道線で帰る予定だった。

Google mapいわく、高速神戸駅から神戸駅までの所要時間はわずかに4分。

駅に着き地上に出る。JRの駅は見えない。裏に出たのかと思いとりあえずその辺を回る。駅は見当たらない。少し歩いてみる。見当たらない。

この時点で一度駅に戻るべきだったのだろうが、朝から試験を受け頭を酷使してきた僕には虫ほどの思考力も残っちゃいない。

とりあえず進む。気がついたら隣の駅まで来ていた。さすがにおかしいと思い方向転換するも、脇道にそれてしまい自分が今どこにいるのかわからない。

思考を放棄して進む。気がついたら別の路線の駅である。軽いパニックだ。

ここで完全に遭難したことに気づく。山だったら多分死ぬんだろうけど、ここは都会。まだ焦る時間じゃない。スマホは電池が心もとないので、できるだけ使いたくない。

遠くに光輝く東横インがみえる。そう、だいたい駅の近くにあるやつ。これで助かったと思った。でもこれが地獄の始まりだったのだ。

虫レベルの頭なんで、光に吸い寄せられて東横インに向かって歩いていくんです。

すると何と明るいネオンサインのアーケードがあるじゃないですか。なになに、柳筋だって、商店街?商店街を抜けると駅前に着く、これ、都会の定石。勝った。勝ちを確信しましたよ。

柳筋。まあ、わかる人ならわかりますよね。これだけじゃわからなくても、福原って聞けばある程度以上の年齢で関西に住む男性ならわかるでしょう。ある種のお店がたくさん軒を連ねてる街ですね。

オブラートに包んで言うならサービス抜群のお風呂屋さん、入るとお姉さんがいて、なぜか知らないけど突然恋に落ちて、あんなことやこんなことをするお風呂屋さんです。お風呂から出ると突然破局します。仕様です。要するにソープランドという種類の風俗店ですね。


そんなこといざ知らず、商店街だと思い込んだ僕は突き進んで行くんです。こういう通りは、だいたい手前は普通の飲食店とかスナックなんですよ。これなら商店街にもあるわけで、気づくのがワンテンポ遅れる。充分進んだところで「60分18000円、全国区レベルの泡姫在籍店!!」なんて書いてあるもんですからそりゃ焦りますよ。

「えっ、やばくね、まちがいなく風俗街やん。商店街じゃないぞ。しかも俺制服着てるで、明らかにこの場に似つかわしくない格好してるぞ。これは怪しい兄ちゃんに絡まれるか、あるいは警察に補導されるか、とにかくまずい展開しかない。逃げねば」

なんて一瞬の内に頭を駆け巡るんです。

僕は前述のとおりいろんなとこで迷子になってるんですけど、以前ラブホ街で迷子になったことがありまして、その時、どう見ても18歳未満と思しきカップルに、「てめぇこっちみんじゃねぇよ!!」みたいな感じで絡まれたことがあるんです。あの時は何とも言えない感情になりましたね、同級生ぐらいの男女が今まさにそういう建物に入ってそういうことをしようとしてるところを目撃してしまったんですよ、そして目撃したのがばれて見事に脅されている。やはりこういう街には近づかないほうがいい、ラブホ街でボッチでいたところ恋人を連れた男に脅された上に殴られたなんてことになった日には、一生モノの不名誉です。この時はしれっと無視して逃げましたが、こんな思い二度としたくない。

でも、冷静になって考えてみるとここは日本。そんなに治安は悪かないでしょう。近くに交番あったし。しかも制服を着ているとは言え僕はもう18になっている。なんらやましいことはありません。

「迷い混んだのも何かの縁、ここはちょいと観光してやりますか。」

支離滅裂な思考になってますが、捨て身なんでしょうがない。

まあ、何と言っても店名とキャッチフレーズ、あと店の建物そのものも面白いものが多いんですよ、風俗街とかラブホ街は。後は密集してるがゆえの不気味さ。これは他のところじゃ味わえない。

なかでも面白かったのが、「秘書と社長」という店のポスターに書いてあった「超特セクハラ!」の文字。いまだに忘れられない。このご時世ここまで振り切ってるのはもはや清々しい。この天才的センスを褒め称えたい。やっぱり風俗街は異次元感あっていい。

こんな感じで結構楽しいんですけど、そうは言っても周りが暗い。加えて完全なる迷子です。正直心細い。しかも制服着てるし。これじゃ制服でサービスしてくれるお店にわざわざ自分も制服を着て行って、学生時代にやり残した「学校帰りに彼女の家に上がりこんでイチャイチャしてたらなんとなくベッドの上でそういう感じになってそのまま押し倒して恥ずかしがる彼女に心奪われてあんなことやこんなことをしちゃう」ってのを風俗でやろうとしてる引きずり系痛客みたいじゃないですか。

やっぱりトリッキーな状況に変わりはないので、そそくさと東横インの見える方へ進みます。

ようやくアーケードを抜けて東横インについてみると、あら不思議、駅らしきものは全く見えず、諦めて地図を見てみると見事に駅とは反対側ではありませんか。

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·········。引き返すしかないのか?この不気味な夜の風俗街を制服姿で引き返すのか?

道に迷ったら可能な限りもと来た道を引き返す、これが基本にして一番大切なことです。へたに違う道を進むとどんどん傷口を広げることとなり、最悪の場合自分が今どこにいるのかまったくわからない状況に陥ることもあります。まして、周りが暗く建物なども見づらい夜です、目印になりそうな建物なんてそれこそ東横インぐらいなもんです。このままだと東横インで一泊することになりかねません。現時点での最善手はこの風俗街を引き返すことなのです。

しかし、ここで僕が引き返すと何が起こるのか、もう一度よくよく考えてほしい。

ここに至るまでの道のりで風俗店の従業員らしき人に何度か見られています。きっと相手からは顔は見えずとも、僕が学ランを着ていることは認識できたことでしょう。そうなると、彼らは僕が何者なのか二通り想像することができるんです。
一つには先ほど申し上げた制服プレイをしようとしている痛客、もう一つにはなぜか制服で来てしまった風俗で童貞卒業しようとしているクソ陰キャ童貞高校生。

どっちにしろ嫌なんだけど、一度通過しただけではどちらか一方に絞ることはできません。しかしながら、二度通過すると明らかに後者になるのです。

「果たして、小生はここで泡姫に我が息子の初めてを捧げてしまってよいのだろうか、しかしながらやはり初めてというのは恋愛感情をもった女性にささげたいものである故、このように焦る必要もないのであろうか、、、否、小生にそのような女性が現れる可能性は皆無にして、ここまで来たのです、ここで逃げるようでは男がすたりまする!ここは覚悟を決めて泡姫に小生の初めてを捧げてしまおうではありませんか!」

なんて考えてると思われた日には、末代までの大恥です。そんなわけにはいきません。絶対回避せねば。

そんなわけで、別のルートで引き返せないか地図とにらめっこしてみますと、別の筋から帰れそうなことが判明。

もはや何も考えずその道へ向かう僕。
都会のはずれにありがちななぜか街灯が少ない裏道。

どうして俺はこんなところ歩いてるんだろうか。
ここで拉致されても確実に誰も気づかないだろうな。
俺はどうしてここまで頭が悪いのだろうか。
俺はどうしてもっとまじめに勉強しなかったのだろうか。
俺はどうしていつも逃げてばかりなのだろうか。

漠然と不安がこみあげてくる中、その矛先は自分自身に向いてくる。もはや人生の迷子といえようか。

どれくらい時間がたっただろうか、実際のところは15分ぐらいしかたっていないんだろうけど、異常なほど長く感じた。
見覚えのあるガソリンスタンドを見つけ安心した。どうにかもとの場所に戻ってこれたみたいだ。怪しい兄ちゃんに絡まれることもなく、警察に補導されることもなく。やはり日本の治安は素晴らしい。

きちんと地図を見て神戸駅にたどり着くのはそう難しいことではなかった。夜道を駆け抜けて明るい神戸駅に到達したときの安心感といったら、同じ状況を経験した人にしかわかるまい。

ここからは新快速に乗り、駅メモぽちぽちしながら大阪へ、予定してた時刻から1時間ほどのずれ。1時間なら12000円ぐらいだったかなと妙なことを考える。まだ大学生にすらなっていないんだ、希望はまだある、早まるんじゃないと自制しながら一年後のことを考える。ピンク色要素皆無の浪人生活。なにも大して今までと変わらないじゃないか。浪人は耐え難い苦痛だとか書いてたやつら、今までどんな生活送ってきてたんだ?

覚悟を決めるしかない。見るべきは泡姫の夢じゃない、素敵な大学生活だ。







と、こんなことがあったんです。1年後の私は浪人ののち、この時落ちた大学に合格しました。しかしながらいまだ大学には行けず、彼女はおろか友達すらできない始末ですよ。素敵な大学生活どこいった?このままだと、4年間闇のボッチ生活かもしれないと思うとぞっとします。

もしも僕がtwitterで自分のことを小生だなんて言い出した日には察してください。そして弔ってあげてください、彼はあの日の夢の国に行ってしまったのだと。

サンタは走らない

今日はクリスマスイブだ。

クリスマスイブってのは奇妙なもので、ある時まではサンタが枕元にプレゼントをおいていってくれる日なんだけど、どこかの時点から恋人と過ごす日になるんです。
もう少し年を重ねるともう「クリスマス=ヤリマクリスマス」ですわ、性の6時間なんて言われるぐらいですからね、人の誕生日にヤリまくる、一体どういう神経してんだよ。

誰しもクリスマスが楽しみで仕方なかった頃があったはずなんだ、なのになのにどうして、いつからこんな敗北感を味わう行事になっちまったんだっ·····

クリスマスが恋人のための日という扱いなのは日本ぐらいらしい。こればかりは日本に生まれたことを恨むしかない。商業主義万歳。 


さてさて、そんなクリスマスですが我々日本人としては正月が近いことも忘れてはならないのです。
正月を迎えるというのは忙しいものです。余りの忙しさに師走なんて名前をつけてしまうぐらいですから。
書いて字のごとく「師が走る」この師
というのはお坊さんのことですね。

ところで、サンタクロースは24時間以内に世界中の子供たちにプレゼントを配って回ることになっているみたいですが、さすがに一人ってことはないでしょうから、日本担当みたいなのが一人いるとしましょう。
とりあえずプレゼントをもらえる年齢を3~12歳と仮定しますと1000万人弱日本にいまして、人口密度で言うとだいたい200m四方に一人らしいです。
24日20:00~翌25日8:00の12時間でこの四方全てを最低一回は通過するとしたら、仮にまっすぐ並んでいたとしても総距離200万km、おおよそ地球50周分、時速にして17万km/hで配る必要があります。実際には重なった部分があったりしてもう少し遅くても配ることはできるのでしょうが、途方もない速度で配る必要があるわけです。

まさかこのスピードを出すのにトナカイって訳もなければ木製のそりってはずもないでしょう。衝撃波にたえうる耐圧カプセルに量子エンジン式メカトナカイハイパードライブ標準装備。もうこれしかない。ついでに積載部は四次元トランクで決まりだ。なんなら最新モデルだと自動運転標準装備だったりするんでしょうか。

とまあ、こんな具合に12/24世界で最も忙しいサンタクロースでさえ最新の兵器を使って自分が走り回るなんてことないんですな。

なのに、ここにいるんですよ、やむを得ずクリスマスイブに走ることになった奴が。
まあね、一昨年のことなんですが、演奏会からの帰り道だったかで人身事故が起きまして、電車が止まってしまったんです、ちょうどその時一緒にいたのが部活同じ男子と女子で、この二人がなかなかにいい感じになってたんですよね、で男子の方は迂回すれば帰れて、女子と私は少し離れた駅までしか帰れないといったところでした。とりあえず男子は迂回、女子は少し離れた駅までと選択、さてここで僕はどうするか迷った。待つのを選べば30分ぐらいだろうか、迂回を選べば女子と二人きりになるタイミングがある上に男子が彼女と二人きりになれるチャンスを妨害することになる、今日はクリスマスイブだ、これぐらい粋なことしてやろうよ。こんな考えが頭をよぎった結果待つことにしました。二人の背中を見届け、はよくっつけなんて思う余裕をかました数分後、後1時間以上は動かないと駅員から告げられるのです。1時間ちょっとあったら走れば家に帰れるじゃないか、あまりよく考えもせず気がついたら走りだしていた。男子にLINEで走ると送ると「わろた」とだけ帰ってきた。これじゃ僕がピエロじゃないか、ひでぇ。
クリスマスに染まる町並みを無表情で駆け抜ける。いつもは地下で通りすぎる街がこんなに華やかだったとは。なのに華やかさのかけらもない僕はクリスマスイブにぼっちで望まないランニング。どうやら僕は12月ではなく師走を過ごすことになっていたみたいだ。結局1時間ぐらい走らされた。


結果として誰かのために走ることとなった僕、まちがいなく良い子だったはずだ、なのにプレゼントはなかった。ちなみにその二人は少し後でめでたく結ばれた。「わろた」じゃなくてもう少し感謝してもらいたいところだ。プレゼントぐらいもってこいや。
もはや恋人である必要すらない。全然知らない人とかでもいいからプレゼント送りつけて欲しい。amazonがサンタクロースでもいいから。

さて、こんなことを書いているととっくに0時を過ぎ性の6時間も佳境といった時間になってしまった。

クリスマス当日だ。朝起きてもプレゼントは届いていないだろう。

でももし、ここから一年「良い子」だったらサンタクロースが来るとしたら?

さあ、来年の自分のためにがんばろうではないか、同士よ。

メリークリスマス!!